最後まで語りたい真女神転生1の世界〜3つのエンディングの解釈【Part12】

最後まで語りたい真女神転生1の世界〜3つのエンディングの解釈【Part12】

今までにやったゲームで己を語るシリーズ。todo(@Explorers_todo)でございます。

真・女神転生1のストーリーを思い出しつつ好き勝手語っているのですが、如何せん語りたいことが多すぎて長文を連発しています。このページでは各エンディングの解釈について好き勝手語ります。

 

最初の吉祥寺編

 

カテドラル

 

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今回もやっぱり長いです。

 

 

3つのエンディング

真・女神転生ではロウ、カオス、ニュートラルの3つのルートについてそれぞれエンディングがあります。

SFC版やPS版だと結構あっさり風味で、プレイヤーが考える余地を残しているように思います。調べているとメガCD版ではナレーションがついているらしく、また違った味わいがありそうです。

どのエンディングを迎えたとしても、真・女神転生2の世界(真1のエンディングから数十年後)ではロウ勢力が台頭し、カテドラルを中心としたTOKYOミレニアムを作り上げます。

よく「正史はロウルート」と言われますが、より正確に言えばどのルートでもTOKYOミレニアムは作成される可能性があった、というところでしょうか。

ニュートラルでは秩序も混沌もバランスよく残っていて、主人公がいなくなってしまえばまたバランスが崩れる可能性がある世界です。ゲーム内の行動で属性がどんどん変化していったことを考えれば、人間が秩序と混沌をバランスよく保ち続ける事は難しいと感じられると思います。

カオスでは混沌が支配する世界ですが、全ての人が力による奪い合いをしているのではなく、中には平穏を求める人もいるはずです。自由を重んじるカオスにとっては、平和を求めることも自由のひとつなのです。そうした人たちが寄り添っているところにメシア教の生き残りが結びつくことでTOKYOミレニアムが作成されたのかもしれません。

真・女神転生2の序盤、あのなんとも言えない重苦しく息苦しい感じを思うと、真・女神転生1のエンディングはなんだったのか……とも思いたくなります。だからこそ真・女神転生2もクリアしなきゃ、となるんですけど(笑)

 

ロウルートのエンディング

アスラおうを倒した主人公とヒロインをカテドラルの頂上で待っていたのは神の使いでした。ふたりに労いの言葉をかけ、「ロウヒーローは神の御許で至福の時を過ごしている」と告げます。

「地上に残った人々はいまだに苦しみ迷っている。君たちふたりが皆を救ってやらねばならない、救世主として……」という言葉は、主人公が真の救世主であると認識していると読み取れます。

「その時こそ、神の統治による永遠の楽園、千年王国が始まる」の言葉と共に太陽が登ってきてスタッフロールに突入します。

ストーリー部分のセリフを全文ここに書き写したわけではないのではないのである程度端折っていますが、それでも短くあっさりしています。

ここで出迎えているのがミカエルでなく神の使いである点にまず注目したいです。ロウルートの場合はミカエルとは戦わないため、ここでミカエルが出迎えてくれても良さそうですが、そうはなりませんでした。役目を果たしたとして天に帰ったのか、それともルシファーなど他の誰かに倒されたのかは定かではありませんが、なんらかの理由があって登場しません。

ロウ勢力の目的はカテドラルに神を迎えること。その目的に沿って考えればミカエルはカテドラルで待っていても良いものと思いますが、「もう来ても大丈夫ですよ!」と直接伝えに行っているのかもしれませんね。

続いてロウヒーローの処遇について。彼の魂は再び神の御許に誘われたようでした。……プレイヤーの立場からすると「もう開放してやってよ」と思ってしまいます。しかし、ロウの思想に染まった主人公の立場を想像するなら、「大切な友人が神の御許に向かったなんて、とても素晴らしいことだ」と言いかねません。ここは選び取ったロウの思想に基づいて幸福論を語るべき部分ですね。

また、救世主の扱いですが、品川で「新しい救世主」として祭り上げられていたのはロウヒーローでした。しかし、エンディングでは主人公がその立場にあります。ロウヒーローはメシア教会のために殉教し、生きたまま皆を導くのは救世主である主人公だ、というスタンスですね。ここはロウヒーロー生贄説が強く出ている部分です。最終的に主人公が救世主として祀り上げられるまでの繋ぎ、あるいは当て馬として使われていたのですから。

救世主である自分を自覚した主人公にとってはロウルートは幸福なルートなのかもしれません。

ロウルートの場合は、このままカテドラルを中心としてTOKYOミレニアムが建造されたと納得しやすいルートです。

 

カオスルートのエンディング

ミカエルを倒した主人公とヒロインを待っていたのはルイ・サイファー……いえ、ルシファーでした。まずはふたりを労い、法の神の計画が阻止されたことを喜びます。かつて法の神によって魔界に墜とされた神々が復活するのです。

「混沌こそ世界の姿だ!」と強く主張する閣下。より強く、より美しいものが次々と生まれてくる世界に喜びをあらわにします。

ただ、ミカエルは倒したものの、法の神はまだそのまま残っています。「彼こそ真の破壊者であり、世界に沈黙をもたらす」と強い警戒感を持ち、「私も彼の一部でしかない。これが何を意味するのか人の子よ、よく考えるが良い」と告げるとルシファーは月に旅立って行きました。

カオスルートのエンディングは、BGMとしてガイア教のテーマが流れているからか、エンディング感よりもゲームオーバー感が強く、「これはやっちまったか!?」とプレイヤーが不安になる部分でもあります(笑)

カオスルートの主軸は支配からの脱却です。法の神によって支配・管理される千年王国が完成すれば自由は失われます。また、千年王国の障害となる別の神々は悪魔としてさらに貶められてしまいます。かつて神々として崇められていたのに、悪魔として迫害されるのは辛いことです。

混沌こそが世界の姿であると、原初の地球を彷彿とさせるような世界がこれから生まれようとしています。何者かが支配を強制するものではないので、自由がそこにあります。

ただ、ルシファーは堕天こそしたものの、元々は法の神によって創られた存在です。ルシファーの意思は果たして自由意志なのか、それともその意思ですら神によってコントロールされているのか、その点についてよく考えろ、というのがルシファーの最後のセリフです。カオスの総大将がルシファーだからと言って、「閣下! ついて行きます!」なんてやってしまったら、支配される世界であり、混沌のある世界ではなくなってしまいますからね。

あるいはルシファーがこのように行動したことも神によってコントロールされている可能性がある、という示唆かもしれません。真・女神転生2では、神からとある命令を受けていることがわかります。閣下はそれに従ったフリをしているのですが、神から連絡が来る点は重要なポイントです。

混沌こそサイコーの世界なので、特に誰かが支配者として君臨するわけでもなく、潜伏していたメシア教徒たちが「じゃあやっぱり我々の神が支配すべき!」と台頭してきてTOKYOミレニアムに。結局まとまりがないカオス勢力はこの台頭に抵抗しきれず、細々と反抗するしかない状態になってしまったようです。

 

ニュートラルルートのエンディング

ミカエルとアスラおうを倒した主人公とヒロインを待っていたのは井の頭公園で出会った老人、太上老君でした。まずはふたりを労います。

法の神が統治する千年王国は法や規律に縛られた世界で、確かに必要なものですが人を縛ってしまい自由に羽ばたけません。

混沌が生み出す世界は刺激と魅惑に満ち溢れています。しかし、絶えず争いが起こり定まりません。

太上老君は「どちらがまさってもいけない。調和が何より大切」と説きます。地上には迷っている人がたくさんいますが、神や悪魔ではなく、人間の手で未来を切り開くべきというのが太上老君の考えです。

「感じるか? 地球を、宇宙を。お前たちはその一部であり、全部である。その中に法も混沌も含まれる」との言葉に、ナレーションではありますが主人公が「感じる……全ての存在との繋がりを……素粒子の振動も、銀河のうねりも、ヒロインの胸の鼓動も皆……」と答えます。

ニュートラルルートのエンディングは調和がテーマ。ロウの考え方、カオスの考え方、どちらも必要だけれどもどちらかだけでは人間らしく生きていけません。

このエンディングはちょっと優遇されていて、太上老君の話の後、地球の絵が出てきたり、銀河の絵が出てきたりと充実した表現になっています。ミカエルとアスラおうの両方を倒したご褒美的な位置付けでしょうか。

一は全、全は一として、宇宙を感じろという太上老君は、法が絶対、混沌が絶対なのではなく、それすらも宇宙の一部であると言います。より広い視野で物事を捉えようとしているのが特徴ですね。

太上老君は道教の神で、老子を神格化したものと言われています。道(タオ)は宇宙の普遍的法則などを表す概念で、その中に道徳的規範などが含まれています。このことから「法も混沌も宇宙に内包される」というセリフがあるものと思われます。

ちなみに一番ゲームのエンディングっぽいBGMなのはこのニュートラルルートです。単純にニュートラルルートが正解というわけではありませんが、3つのルートの中では日本人のプレイヤーの価値観に近いエンディングなのではないかと思います。

 

単純にボスを倒して良かったね、じゃない

真・女神転生のエンディングで考えるべきことは、「ボスを倒したから万事OK!」とはならないこと。どの結末を選び取ったとしても、ゲーム内の登場人物やNPCの中には「その結末は選び取って欲しくない」と思っている人がいます。ロウルートであれば、カオス勢力がこう思うでしょうし、逆にカオスルートであればロウ勢力がこう思うはずです。

ゲームとしてストーリーはボスを倒したところまでですが、ゲーム内の人物たちにとってはこの後も未来が続いていくわけで、勝った陣営ではない方に属している人がどういう扱いを受けるかと考えると、結構心に重いものが残ります。

主人公はどのルートでも象徴的な存在ですからある程度は幸せに暮らしていけると思います。でも主役でない普通の人にとっては……。

人間対悪魔という図式だけではなく、人間の中でも思想的な対立があるのを明確に描いていた点がこの真・女神転生の特長でした。

 

まとめ

つい好き勝手に語ってしまった真・女神転生。発売から既に25年以上経ってますし、なんだかんだもう30年も見えてきています。

発売当時はインターネットで情報交換するというのも一般的ではなかったらしいので、そうした時代に神話や聖書の話を盛り込んだゲームが発売されるというのは衝撃的だったと思います。私はリアルタイムでゲームを遊んだわけではないので当時の感覚は想像するしかありませんが、同じ人間であるのに思想的な対立があるというディープなゲームは、遊んだ人の理解の枠を広げるようなものだったのではないでしょうか。

もし久々にやってみたくなったら、押入れからスーファミを取り出してやってみてくださいな。

(※追記)このページを公開した後にまさかのNintendo Switchで配信されるという奇跡。現行のゲーム機で遊べるので是非やってみてね。真・女神転生Ⅴも発売されたので、みんなやろう!

 

では、ゆっくりとおやすみください。おやすみの間、悪魔に肉体を乗っ取られぬようお気をつけて……。

 

 

何故俺を起こした! せっかくいい夢を見ていたのに……

 

 

     

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