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todoのプロフィール

Unityの隅々までつつく研究家(自称)/Unityアセットデベロッパー/Unityを使ったスマホアプリデベロッパー

todoは私の苗字の轟から。地元ではたくさんの轟さんがいるのですが、東京にいた頃は会う人みんなに「珍しいですね!」と言われていました。苗字だけならSSRです。

フリーランスとして活動していて、屋号は『TODOWORKS』です。轟さん、ガンバリマス! みたいな感じで付けました。同名のブログも作ったのですが、そっちでは趣味の大河ドラマの感想やら、これまでやったゲームの感想を書くブログと化しました(どうしてこうなった……)

なのでUnity関連の話題はこっちのブログ『エクスプラボ』で扱うことにしています。Unity関連のお仕事についてはこちらで伺っています。

Unityを使ったお仕事を始めたきっかけ

ちょっと長いけどお付き合いください!

ゲーム作りと出会った少年時代

小さい頃から家にファミコンがあったので、雨などで外で遊べない日には友達や親と一緒にマリオで遊んでいました。当時、ドラクエとかも家にあったのですが、RPGの内容やストーリーについては理解できていなかったので、アリアハンからいざないの洞窟までレベル1で到達できるか? とか、何分で到達できるか? みたいな縛りプレイやらRTAみたいなこともやっていました。

そんなこんなで小学生の高学年の頃だったか、いらないプリントの裏にアクションゲームのステージを描くという遊びにハマり始めました。イメージとしてはマリオ3のステージのようなものをオリジナルで描いていた感じです。既存のゲームをやるだけじゃなくて、頭の中にあるゲームを形にするなんて、今考えるとこの頃から無意識にゲームを作ろうとしていたのかもしれません。

しばらくしてから、友達の家で遊んだときに『RPGツクール』というゲームを作れるゲームがあることを教えてもらったんです。その瞬間、衝撃を受けました。「これだ!」と。

友達がやっていたのはRPGツクール2でしたが、当時のお小遣いを貯めて買えたのは中古のRPGツクール SUPER DANTEでした。スーファミのカセットだったので、テキストをコントローラで必死に入力していました。今考えると恐ろしいですね。多分このパラグラフを入力するのに10分くらいかかります。

RPGツクール SUPER DANTEは戦闘のダメージ計算で乱数がなかったり、使える漢字が少なかったり、キャラクターの魔法は10個以上覚えると古いものを忘れていったりと、色々制限があるソフトでした。それでも自分のゲームが作れる! と、情熱だけで作る事自体を楽しんでいた記憶があります。

RPGツクール3にどハマり

中学に入った頃だったか、プレステのRPGツクール3を中古で買いました。サンプルゲームのゴブリくんを遊びながらスイッチ(RPGツクール3ではフラグのことをこう呼んでいました)について学び、ゲーム全体の構成なんかも意識して作れるようになってきていた気がします。

当時作っていたゲームのタイトルは『Short Story』。今でも思い出せます。敵キャラの名前はお中元でもらって家にあったビールの名前から「モルス」「サッポン」「アーサー」みたいな名前を付けていました。確かラスボスは自分自身のシャドウで、自分に打ち勝つみたいなストーリーだったと思います。ペルソナか。

もちろん会話文はコントローラで1文字1文字丁寧に入力しましたとも。

プレステのRPGツクールだったこともあり、メモリーカードにゲームを保存して友達と交換して遊んでいたのも懐かしいです。友達のゲームだとモビルスーツっぽい名前が出てきたりして、「なるほど、ガンダムにハマっていたんだな」と分かるのが面白かったです。お互いのゲームをお互いに遊んで、いいところを吸収して……みたいに遊んでいました。

この頃はちょうど厨二病を発症していたこともあり、友達と一緒になってノートにゲームの設定を書きなぐっていました。確か国語のノートだったでしょうか、裏表紙の方からゲームの設定を書いていたものをそのまま先生にノート提出して、赤ペンで設定にツッコミが入っていたのもいい思い出です。

出会ってしまったRPGツクール2000

私が今Unityでゲーム開発をしているのは、おそらくこのソフトがルーツです。

RPGツクール1、2、3はコンシューマ向けソフトで、このRPGツクール2000はPC向けのソフトです。PCでゲーム開発を行う素養がここで身に付きました。

サンプルゲームで遊んで、どんなゲームが作れるか掴んでからは、どんどこ自分のゲームを作っていきました。何より驚いたのは文字入力がキーボードだったこと。パソコンのソフトなんだから当たり前だけど、入力方法を覚えてからは入力スピードが格段に上昇して感動した記憶があります。

このソフトにはRTP(RunTime Package)と呼ばれる共通素材集が付いており、自分で素材を用意しなくてもスーファミ時代と同じようにゲームを作れるんです。ゲームで使うデータベースでキャラクター、技、アイテム、敵を作成し、マップではイベントを作成していく……その繰り返して何作もゲームを作りました。このゲームも友達とファイルをやり取りしてお互いに遊んでいました。

二人ともツクール3時代に作った作品をリメイクしてたのが面白かったです。私の場合は前述の『Short Story』をリメイクし、友達はモビルスーツっぽい名前が出てくるゲームをリメイクしていました。RPGツクール2000で出来る表現を入れつつ、ストーリーはツクール3時代と似ていたりと、お互いにニヤリとしながら遊んでいました。

あと中学生によくありがちな、クラスの友人たちが出てくるゲームを作ったりと、「あれ? 今考えるとゲーム作りばっかしてるな?」ってくらい熱中してました。もちろん部活も一生懸命やってたし、自転車でみんなで遠くまで出かけたりと、体を動かす遊びもしてましたよ、念の為。

ツクール2000で普通のRPGを作るのに慣れてくると、今度はRPGツクールなのにアクションゲームを作り始めるなんてこともしていました。穴の前のマスで決定キーを押したら飛び越える、なんて単純なものから始まり、キー入力のイベントを拾ってどこでもジャンプできるようになったり、変数を管理して体力ゲージやらを管理したりと、だんだんできることの幅が広がっていきました。これってUnityで開発している時とそう変わらないですよね。

さらには素材を自作してインポートしたり、インターネットでいい感じの素材を探したりと、この部分も現在Unityでの開発でやっていることと似ている気がします。

高校に入ってからは部活に全力を注いでいたので、年1、2本くらいのペースでしかゲームは作れませんでしたが、中学の時に友達とゲームを交換していたのを続けていました。

色々と挑戦した大学時代

大学に入った後、今度は色々なことに興味を持ち始めちゃったんですよね。大学って色々な人がいるので、彼らに影響されて色々とやってみた思い出。

友達が麻雀をやり始めたら一緒に麻雀をやり、ある時は「バンドやろうぜ!」と盛り上がってバイト代でギターを買い、ライブに出たり。

またある時は読書にハマって、自分で小説を書きたくなって何本か書いたり。もともとストーリーのあるゲームを作っていたこともあり、小説やシナリオを作るのは結構ハマりました。結局そのあとRPGツクール2000を使ってゲーム作りも再開したんですけどね。

入ったのが教育学部だったので、教育に関してもがっつり勉強していました。実は中高理科の免許を持っていたりします。特に教材開発はめちゃくちゃ好きだったし今でも好きなので、このブログでも初心者向けチュートリアルをノリノリで作っています。

入った会社はIT系

もともとは社会人経験を積んでから教員になろうと思っていたので、大学卒業後はIT系の会社に就職しました。ここではITの基礎知識を学んで、お客さんと密に関わって仕事ができました。大学の学部と関係のない会社で頑張れたのも、関わったお客さんがとてもいい人たちだったことが大きいと思います。あと仲の良い同期とかにも精神的に助けてもらいました。

システムの設計をして、「どう書いたらお客さんに分かりやすいかな」なんてドキュメント整備をしたり、プログラミングをしたりと、色々とやらせてもらいました。

自分のいた会社は薄々ブラックな感じはしてましたが、何年か働いてからそれが顕著に現れました。炎上している案件の火消しとして投入されたのですが、あまりにバグが出過ぎてて「通勤時間が勿体無いからホテルに泊まって」と上司命令でホテルに軟禁され、ほとんど家に帰れない状態に。当時引っ越したばかりだったのに、数ヶ月の間は平日に家に帰れない、というのが続きました。鬼か。

この話をIT系の人とすると、「ホテルに泊まれるだけマシ」「うちは始発で帰って1時間寝てから始業時間に出勤する」「なんなら寝袋常備」なんて言葉も帰ってきて、業界の闇を感じたことを覚えています。

そうした生活をしていると、だんだんと「これでいいのかな?」なんて思いが出てくるわけです。このブラック案件の最中に受けた健康診断ではまさかのオールA(超健康体)だったし、精神的にもまだ耐えてはいました。しかし、このまま続いたらやばいかも、という危機感があったので、身の振り方を考えることにしました。

名ばかりフリーランスへ

地獄の案件中はできていませんでしたが、前々からアプリ開発に興味があって多少勉強していたので、そちらで生きていくことを決め、退職。今考えれば無謀にもほどがありますが、生きたまま会社を辞められることが私にとって非常に重要だったのです。

退職後は使う暇のなかった貯金を頼りに、アプリ開発を始めることにしました。当時はUnityのことを知らなかったため、JavaでAndroidアプリを作っていました。

自分の経験を組み合わせて人の役に立つアプリを作ろう! という観点から、ゲーム × 勉強法 をコンセプトに、ゲームでレベルアップしていくような感覚で勉強時間を記録できる『ワザマエ文庫』というアプリをリリース。少ないながらもダウンロードしてもらって、レビューまでもらえて狂喜乱舞したのは今でもちゃんと覚えています。

Unityとの出会い

確かこのアプリを作っている途中で「AndroidとiOSの両方でアプリを出せるUnityというゲームエンジンがある」との情報を掴んでUnityのことを知りました。

当時のUnityはAndroid、iOSでリリースするために十数万円を払ってライセンスを買う必要があった時代でした。「とりあえず無料で使える部分だけでも……」と触り始めてみて、ズッガーン! ゴロゴロピッシャーン! と雷に打たれたような衝撃を受けました。

「あ、これRPGツクールでやったやつだ!

まるで進研ゼミのノリでUnityを弄り倒しました。チュートリアルは英語でしたが、『Roll A Ball』『Space Shooter』『Survival Shooter』『2D Rouge Like』など、片っ端からビデオを見て真似して作っていました。なんだか自分のルーツに触れたような感じがして、夢中で貪っていたのです。

チュートリアルを一通り触ったらやることはひとつ。そう、自分のゲームを作ることです。

ちょうどmacを買い足したところだったので、マシンのパフォーマンスが改善され、ずっとゲーム作りに打ち込んでたなぁ……。リリースしていないけれど、猫がボールになって転がるゲーム『にゃんころがし』なんてのも作って遊んでました。

そしてRPGのゲームとして『ぼく、猫ですって!』をリリース。RPGと言ってもコマンド制のものではなく、画面タップで攻撃する連打系のゲームです。これもダウンロード数が少ないながらも遊んでもらえて嬉しかったです。iOSでのリリースは初だったので審査にドキドキしたのもいい思い出。

そのあとはゲーム開発の効率化を考えてエディタ拡張を学び、アセットとしてリリース、これもダウンロードして使ってくれる人がいました。嬉しいものですね。

こうして学んだことを初心者向けチュートリアルだったり、単発トピックとしてまとめてできたのがこのブログです。学んだことをアウトプットすると、自然と新しい知識も入ってくるのでこれは非常に役に立っています。

挫折などもあるんです……

とはいえ、Unityでのゲーム製作は毎回上手く行っている訳ではないのです。途中まで作っても、「これ、ユーザから見て面白いか……?」なんて思って未完のままエタったものもありましたし。

リリースしたものが思ったよりダウンロードされないなんてのも、よく分かってない頃にはショックな出来事でした。

アプリ開発の途中で調べ物をしていると、どうしても成功事例がたくさん目に入り、自分もそうなる! という根拠のない自信が染み付いちゃうんですよね。「リリースしたら全世界でダウンロードされるぞ!」なんて夢を思い描いていたことだってあります。結果は……お察しください。

最初は「なんでダウンロードされないんだ……」と嘆いていました。今考えれば広告出せば良かったんですけど、当時はそこまで思い至らず、ブログを作って宣伝することを考えました。お金をかけて宣伝することへの恐怖みたいなものもあったんです。

ブログを作っているうちに軸がぶれ、「自分でブログのテーマを作ってみたらいいんじゃないか?」「あれ? 広告で稼いだらいいんじゃないか?」なんて悪魔のささやきに誘われて、なんだかよく分からないブログを生み出してしまったこともありました。それが最初にお話しした『TODOWORKS』のブログです。屋号として使っているのに趣味ブログと化すなんて、もはや黒歴史。

この経験が力をくれた

思ったほどダウンロードされないと言ってもゼロではなく、遊んでくれているユーザがいる点に目を向けた時、意識が変わった気がします。

遊んでくれるだけではなく、感想をくれることだってあります。レビュー欄の他に、Twitterでも「ランキングで1位取ったよ!」とか「丁寧に作ってあるね!」とか優しい言葉をかけてもらったことも。

子供の頃、友達に楽しんでもらうことだけを考えて作っていた時のことを思い出しました。ゲームを遊んでくれるユーザに向き合うのが一番大事なんです。

たしかに商業的には数字は大事です。でもゲームはコミュニケーションのツール。ユーザ同士のコミュニケーションはもちろんのこと、ユーザとデベロッパーの間でもコミュニケーションがあるんですよね。

そして自分の作ったゲームをユーザが遊んでくれる、というのをこれからUnityの世界に入っていく人にも感じて欲しいと思うようにもなりました。

Unityだけで言えば3、4年の開発経験ですが、上で紹介した小学生の頃のエピソード、あれをカウントに入れていいのであれば、ゲーム作りの経験は20年近くになります(笑)

Unityでゲームを作る上で身に付けた技術は、他のデベロッパーのためにも貢献できることに気付きました。ブログで私が学んだことを伝えるのもそうですし、教員免許を取った時の経験を生かして、分かりやすく伝えることだってできるはずです。

宣伝目的でブログを作って(そして黒歴史となって)いたことだって、このブログを作るのにも役立ちましたし、結果的には試行錯誤して良かったかもしれません。

あなたに対して私が貢献できること

このページを見て下さっている方は、おそらくUnityを使ったゲーム開発に興味を持っていたり、既にUnityを使ってゲーム開発に取り組まれている方だと思います。

「ゲームを作ってみたいけれど、Unityにはまだそんなに慣れていない……」

そんな悩みを持つ駆け出しデベロッパーの方には、ゲームを完成させるまでの知識+技術面でのサポートを提供できます。あるいは単純にUnityを使った開発の知識を教えるということも可能です。

「Unityには慣れているけど、ゲーム開発に時間が掛かる……」

といった悩みを持つ経験者デベロッパーの方には、サポートの開発要員として作業を行うこと、あるいはエディタ拡張を使ってゲーム開発の効率化ツールを作成する、なんて形でお力になれます。

「開発をサポートするツールとか無いかな」

なんて方には、アセットストアで公開している3Dダンジョン作成ツールの『Ariadne』や翻訳管理ツールの『Calliope』がお役に立てるかもしれません。エディタ拡張系のツールはこれからも更新・追加していくので、気が向いたときに見てもらえると増えてる……かも。

ゲームを作ってたくさんの人に遊んでもらいたい! というあなたの夢を後押しします!

特にUnity初心者の方には、あなたの作ったゲームをユーザに遊んでもらって、「面白かったよ!」と言ってもらう時のあの感動を味わってもらいたいんです!!

 

todoのその他インフォメーション

● 元々長野にいましたが、今は東京に拠点を置いています。「拠点を置く」って表現するとちょっとかっこいいですね。

● 休日はサイクリングで野山を駆け回っています。ただし花粉症の時期は勘弁な!

● 一時期資格勉強にハマっていて、色彩検定1級とカラーコーディネーター1級(商品色彩)を取りました。アーティスティックな方面ではなく、「UIのボタン見にくくないかな」「ゲーム全体の雰囲気と色調が合ってるかな」みたいな観点で役に立っています。

● 大学時代はイタリアンレストランでバイトをしていたので、パスタとかピザを作れます。

● 支配者のように接してくる方は苦手です……。ブラック企業時代の上s……ゲフンゲフン怖い人を思い出して手が震えてしまうので(トラウマ)

● ゲームを作って、ユーザに「面白かった!」と言ってもらえるのが夢です!

これはあなたのゲーム作りをお手伝いした時でも同じこと。あなたのゲームを遊んだユーザが「面白かった!」と言ってくれたら、それはあなたの勝利であり、私の勝利でもあります。

ゲーム作り、一緒に頑張りましょう!