自分を初心者ではなく中級者だと認識するメリット【ゲーム開発】
物事を始める時には誰もが初心者。それが経験を積んでいくことでいつしか中級者、上級者になっていきます。
ゲーム開発でもだんだんと中級者の領域に入っていくわけですが、初心者から中級者になったと言うのもなかなか勇気がいるかもしれません。
この記事では自分を中級者だと認識することのメリットについて考えたいと思います。
いつから中級者?
ゲーム開発も続けていくことで技術が伸びていき、中級者の領域に入ります。いつから中級者だと名乗っていいかはやはりご自身で判断されるのがベスト。
……とはいうものの、この界隈は「自分はまだ初心者だから」と言い張る上級者たちがゴロゴロいるので、上を見ているといつまでも「自分は中級者」と言いにくい気持ちが生まれます。
Linuxを作ったリーナスさんは「ワタシハリナックスチョットデキル」なんてTシャツを来て来日したことがありました。作った人、創造神レベルで「チョットできる」と言っているのを聞いたら……使っているツールが違っても中級者なんて名乗りにくいですよね(笑)
個人的にはゲームを1本作り上げたら脱初心者、つまり中級者でいいと思っています。(リリースしたのならなおグッド)
ゲーム開発を始めた時から他の人の知識を吸収していると思います。この受け取った知識を元に自分が思い描いた形にできたというのは、ひとつのステップだと思います。どうあるべきかが分かる、どう改善したらいいかアイディアを出せる、といった段階になるのがゲームを1本作った頃くらいだと思います。
- ゲームを1本完成させたことがある
- まだゲームを完成させたことがない
この2つには大きな隔たりがあります。企画、設計、開発、テスト、リリースのプロセスを体験したことで、次からも同じように対応することができますし、自分が知っていることを使って同じように行動できるのは成長の証です。
どうしても自信がなければリリースしなくても習作を3本作ったらもう「自分は中級者」と名乗っちゃってもOKです。
中級者と名乗るメリット
自分は中級者になったと認識することで心の変化が生まれ、いくつかのメリットが生まれます。
- ちゃんと理解しようと脳が働く
- 説明できるようになることでより理解が深まる
- 自分に適度なプレッシャーを与えることができる
これらについて深掘りしていきます。
ちゃんと理解しようと脳が働く
自分を初心者だと思っている時は「分からないのは自分が初心者だからしょうがない」と理解を後回しにしてしまいがち。もちろん前提となる知識がたくさん要求されることは多々あるので、あとでしっかりと時間をとって理解しようと思うのはOKです。
最初の頃は分からないことが多いので、自分が分かる範囲を外れた部分について見なかったことにすることもあるかもしれません。例えばチュートリアルをやっていたりや本に沿って進めていて、分からない概念が出てきたりすると諦めてしまったり。
自分は中級者であると自覚することで、理解すること自体を諦めないようになり、脳が頑張って理解しようと働きます。「中級者なら諦めずに追求する」というイメージが自分に適用されることで、そのように振舞うようになります。
心理学的には「役割効果」が働いています。例えば、のほほんとした社員をリーダーにしたら、リーダーらしく振る舞ってキビキビと働くようになるというのは役割効果のひとつです。役割が人を作るとよく言われますがこれがまさにそうです。
自分は中級者であるという役割を自分自身で与えることによって、その役割に応じた行動をするようになるんです。
説明できるようになることでより理解が深まる
初心者の場合はどうしても知識を受け取る側、学ぶ側という意識が生まれますが、中級者だと思うことで人に知識を伝える視点が生まれます。
「人に説明できるためには3倍の理解が必要」とは教育の分野でよく言われていることですが、何かを伝えるためには準備を行います。この準備の過程で自分の言葉で説明できるように知識を整理していくことでさらに理解が深まっていきます。特にこの過程では自分が何を理解していないかを知ることもできるので、そこに気付くことにも価値があります。
知識を伝える方法は色々とありますが、勉強会を開いてもいいですし、ブログを作ってもいいですし、Qiitaやnoteで記事を投稿するのもいいと思います。なんならYoutubeで動画を作ってみるのもいいかもしれません。大事なのは自分の理解を人に伝えようとすることです。
インターネット上には既にたくさんの技術情報がありますが、あなたなりの解釈や実例を伝えるのは価値があることです。もしあなたの解釈と似たような方法で理解する人がいれば、その人にとってはあなたの公開した技術情報はとても嬉しいですからね。
自分に適度なプレッシャーを与えることができる
「中級者だったらこのテクニックも分かっているはず」と自分に対する認識が変わることでそれに合った行動をするようになります。人は自分に対する認識に合わせて行動します。
例えできないことがあっても、「中級者だったらここから学べる」と成長に変えていくことができます。ここは上で触れた役割効果とも関係する部分ですが、「この役割ならこういう動きをする」というイメージに沿って行動するようになるんですね。
人に情報を伝えるという観点では、「中級者だったらちゃんと検証して間違ったことを言わないようにしよう」と思うようになります。私もブログでUnityの技術的な話をするときにはそれ用のプロジェクトやシーンを作って検証してから載せるようにしています。インターネットで情報を公開しているUnityエンジニアの方々もちゃんと検証していることが多いです。
検証しているけど解釈違いだった、なんてこともありますが、その場合はコメントなどでフィードバックをもらうこともできるので素直に「ありがとうございます!」って答えればOKです。
ただし、過度なプレッシャーはメンタル的には良くないのでメンタルのケアも忘れずに。メンタルのケアについては以下の記事で触れているのでよかったらこちらもご覧くださいな。
おまけ: IT技術の熟練度
上でちょこっとリーナス氏の話に触れたので、IT技術の熟練度の表し方を紹介。以下のツイートが詳しいです。
【エンジニア用語解説】
「完全に理解した」
製品を利用をするためのチュートリアルを完了できたという意味。「なにもわからない」
製品が本質的に抱える問題に直面するほど熟知が進んだという意味。「チョットデキル」
同じ製品を自分でも1から作れるという意味。または開発者本人。— 伊藤 祐策(パソコンの大先生) (@ito_yusaku) September 20, 2018
これはジョークのようなもので、ネタを知らない人に言うと「は? 完全に理解したんだろ? じゃあこれもできるよな(威圧)」とボコボコにされかねないので注意。プライドの高い上司や先輩などに言ってしまったら……その先は言わなくてもお分かりですね。
自分が無知であることを知ってからやっとスタート、みたいなところもあるので、自分が何を理解していて何を理解していないのか分かり始めるのが中級者あたりです。このジョークは「完全に理解した」から「なにもわからない」の間が結構飛んでいるので、中級者はこの中間あたりに位置している解釈でいます。
チュートリアルが終わって「完全に理解した」の状態になって、実際に自分でゲームを作ってみるとチュートリアルのようにスムーズに進むことは稀で、大変な思いをしながらゲームを作り上げることになります。そうすると最初の無敵感はどこへやら、「自分は何も知らないじゃないか……」とちょっと自信を失いながらもその知識の穴を埋めていく訳です。
「今度はこんな感じで作ってみたらどうなるかな?」「この機能も使ってみよう」なんて前回やらなかったことを試してみて比較し、それぞれの利点や問題点を理解していくようになります。これを繰り返していくことでだんだんと知識体系ができてきて「なにもわからない」の状態に到達します。
さらに理解を深めて「この問題を解決した製品が作れるのでは?」と新しい製品を作って「チョットデキル」のレベルに到達する訳です。この段階になると単純にその製品の理解を行うだけではなく、競合の製品や取り巻く環境についても理解がないとできないことだと思います。
できる人ほど自分の無知を自覚するから謙虚になる、という点をジョークとしてうまく表現されているのがこのIT技術の熟練度だったりします。
ちなみに「チョットデキル」のTシャツを先に着たのはフィギュアスケートの皇帝と呼ばれたプルシェンコ氏が先っぽい?
まとめ
自分は中級者になったと認識することで心の変化が生まれ、いくつかのメリットが生まれます。
- ちゃんと理解しようと脳が働く
- 説明できるようになることでより理解が深まる
- 自分に適度なプレッシャーを与えることができる
他の人に言うのが恐ければ自分の中で思っているだけでも効果があります。自己認識ってほんと大事。なので、ゲームを1本作ったら「私は初心者を卒業して中級者になった」と自分を褒めてあげてください。
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